「優しさと戸惑いの間に……クロワッサン」
「よいしょ…と……」
最近はずいぶんとお腹も大きくなって、全自動の洗濯機に洗い物を入れてスタートボタンを押すだけでも一苦労だ。
「ただいまぁ…まぁ! 彩さん、あなた何してるの?!」
買い物から帰ってきたらしい義母が、包みを抱えて部屋の入り口で私を見ていた。
「あ、お義母(かあ)さん。お帰りなさい」
「お帰りじゃないでしょ! 洗濯物なら、帰ってから私がやるからって言ったでしょ?」
ここのところ、体に障るからと、義母が家事の一切をやってくれる。
「いえ、洗濯物くらい大丈夫ですから……」
できることくらいは自分でやらないと、申し訳なくて仕方がないのだけど……。
「ダメダメ! さ、こっちに座ってて」
義母は、テーブルまで私の手を引いてイスに座らせる。
「いえ、お義母さん……」
怖い目でみつめられる。
「はい……」
「そうそう、帰りにクロワッサン買ってきたのよ。焼き立てだから」
「はぁ……」
洗濯機の方へと去っていく義母の後姿を見送りながら、仕方なくクロワッサンを手に取る。
(そう言えば〈娘。〉でもこんなことあったなぁ……)
あれはまだ〈モーニング娘。〉が結成して間もなくだった。
「すいません! すいません……」
集合場所を間違えた明日香が、慌てて駆けつけたときのこと。
「明日香、昨日、事務所で集合って言うてたやろ。どこで待ってたん?」
「ホテルのロビー……ごめんなさい……」
「…まぁ、今回はしょうがないけど、今度から、ちゃんと確認せなアカンで?」
「はい……」
それを見ていた私は、日ごろからしっかり者のイメージだった明日香が、ちょっと可愛く感じていた。
裕ちゃんもそうだったらしく、それ以上は言わず、明日香の頭を軽くポンポンッと叩いて髪をなでていた。
「あ、そうや! 明日香、クロワッサンが好きって言うてたやろ? あたし、買ってきたんよ」
裕ちゃんの中ではもう話は切り替わってたのだろう。でも、明日香はまだ遅刻を引きずっていたのだ。
「そんな! 申し訳ないです…もらえないです……」
明日香の答えに呆気にとられる裕ちゃん。
「これ、明日香のために買ってきたんやで?」
「いや、ホント、もらえないです」
きっと、裕ちゃんは、それまでなかなかつながりがもてなかった明日香と、どうにかして仲良くなりたいと思ってクロワッサンを買ってきたに違いない。
悪気はまったくないにしても、それを明日香はバッサリと切ってしまったことになる。
「……もう、えぇわ!」
不機嫌になった裕ちゃんに、今度は明日香が呆気にとられている。
(何? 私、何か悪いことした?)
そんな表情だった。
その仕事が終わった直後に、裕ちゃんが明日香を呼んでいるのを見て、私はスッと近寄っていった。
「はい、クロワッサン」
明日香に押し渡す。
「明日香、私にはえぇけど、あんな言い方は他の人にしたらアカンよ?」
「???…はい……」
それでも、やっぱり明日香は伝わっていないようだった。
2人はあくまで大真面目だったけど、傍で見ていた私はほほ笑ましくて仕方なかった。
だから思わずつぶやいてしまったのだ。
「こいつ、わかってねぇなぁ」
それが明日香にも聞こえたらしいのだが、ますますキョトンとした表情で、それがまた可愛らしかった。
当時のことを思い出しながらクロワッサンを食べた。
もちろん、私は裕ちゃんの立場に自分を重ねて思い出していたんだけど……。
その夜、帰ってきた彼に昼間の義母とのことを話した。
義母にばかり家事を任せるのは申し訳ないと。
そうしたら、彼が私のことを子どもを見るような目で見ていた。
彼は、昔の私と違って
「こいつ、わかってねぇなぁ」
とは言わなかったけど……。
あれ? 今の私、明日香の立場なの?
「優しさと戸惑いの間に……クロワッサン」(完)
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